信じられないような光景だった。
店を訪れると、営業時間前だというのにすでにお客が並んでいる。
ただ、それ自体、人気店だったら別段、珍しいことではない。
営業時間となり、皆が食券を購入して席に着く。
全員が、この日、夜営業前に並んでいた15人ほどが、同じ料理を注文したのだ。
「モツ煮込みうどん」こそ、この「糸庄」の看板メニュー。
ほかにも品書きはあり、モツ煮込みうどん専門店というわけではない。
牛鍋うどん、かにうどん、天ぷらうどん、海老うどん、カレーうどん、とりうどん、冷やしうどんというように、
実際、気になるメニューがいろいろとあった。
それでも吸引する看板メニューの圧倒的ぶりにクラクラ目眩がする。
この並んだ客の全員が看板メニューを求める光景が、
冒頭の「信じられないような光景」だったのか。実は違う。
一気に、戦闘モードに雪崩れ込んだ形だ。
注文数を確認するとコンロの上に並ぶ土鍋に職人さんが次々とやかんで液体を注ぐ。
きっと出汁だと思うんだけど、それを終えるや、すぐさま着火。
ヨーイドンで、なんとも壮観な鍋焼きうどんの列ができた。
そのうち、白い鍋の蓋の隙間から、白い湯気があがっていく。
そそる。これは本当にそそる。
このまるで温泉地のように湯けむりが立ち上る光景こそ、
冒頭の「信じられないような光景」だったのか。
実は、これでもなかったのだ。
カウンターで調理中の土鍋を眺めつつ、うどんを待つ時間は一向に苦にならない。
なんなら、ここでビールでも飲みながら、閉店まで居たいとさえ思った。
思った矢先にうどんが運ばれてきた。
はい、どうぞと目の前に置かれた時の感動たるや。
ふわりと白い誘惑がどんどんと立ち上っては消えていき、
なんとも言えない香り、そう甘辛さがすでに舌にあるかのような立体的な香りが挑発する。
これだろう、「信じられないような光景」は。
そんな声が聞こえてきそうだが、答えはノー。
氷見うどんの名店「糸庄」は、煮込んだ太麺が味わえることで有名で、
その太麺の魅力に触れたくてぼくは貴重な出張先での一麺にここを選んだ。
鍋から、うどんを引っ張り上げた。
びっくりした。驚愕した。思わず息を飲んだ。
煮込んであるから、きっと麺は少なからず崩れているのだと思っていた。
ところが、美。なんだろう、この艶やかな美人麺は。
煮込んであるのに、色味においてはしっかりと琥珀色をまとっているのに、
優美で、見るからにつるつるで、たまらず啜ってみたら、
表面はつるりと滑らか、噛み締めた瞬間はふわモチっとしながらも、
咀嚼を始めればコシがあって、まるで物語のような、そんなドラマが麺に備わっていた。
これこそが、ぼくが見た「信じられないような光景」。
グラグラと煮込んでもなお、美しさを保つ氷見うどん。
豚モツの甘辛さは絶妙で、モツの旨味が溶け込んだつゆを吸った天ぷらは極上で、
これ以上のモツ煮込みうどんは無いかな、と思わせる力に溢れていた。
氷見うどんの入口はこうして開かれたが、ここが出口なのかもしれない。
おごちそうさまでした !!!